暖簾とは?
元々は屋内に直接、風や光が入るのを防いだり、目隠しとして使われていた暖簾。
そして戦前は、ごはん屋さんや居酒屋さんでお客様が出て行く時に肴をつまんで汚れた手をちょっと「暖簾」で拭いていく、そんな習慣もあり、のれんが汚れている店ほど「繁盛しているお店」と言われていたとか。
今では、閉店になるとまずのれんを片付けるので、出ていると「営業中」という合図にもなっています。
そんなさまざまな目的やメッセージが込められている暖簾はいつどこで生まれ、どのような変遷を経て今に至っているのでしょうか?またのれんの製作(染色)方法や種類にどのようなものあるのでしょうか?
ここでは、のれんの歴史や暖簾に関するトリビア、いわゆる雑学的な事柄や豆知識をご紹介します。
暖簾の意味(語源)
中国の仏教禅書「勅修百丈清規」(ちょくしゅひゃくじょうしんぎ)が鎌倉末期にわが国に渡来、禅寺では簾の事を涼簾、寒期には簾に布を張って暖簾と呼んでいました。その中の暖簾(ノウレン)が変化して(ノレン)の名称が生まれたと言われます。
松山弘範氏による「暖簾に関する一考察」という学術記事によると、それ以前の平安初期、承平年間(931年から938年まで)に書かれた「和名類聚抄」(わみょうるいじゅしょう)には、幌・帳・帷等の語があり、宇津保物語、蜻蛉日記、和泉式部日記、狭衣物語、和漢朗詠集等でも垂布、布、下布、幕、御帳、帳、羅幕、錦帳、垂簾、簾、翠簾、玉簾ノ小簾等の語がみられるとのこと。全て、屋内に下げる布類又は簾類を指していますが、平安時代の庶民が、これら布類のことをどのように呼んでいたかについては明らかではありません。
暖簾の起源と変遷
布の看板とも言われる暖簾は実は、アメリカはもちろんヨーロッパ、アジア他、中国でも決して見ることのない日本独特のものです。上で鎌倉期に「暖簾」が中国から輸入されたと書いていますが、これはあくまで「日除け」や「塵除け」を目的としたものであって、日本のように「広告」機能を持つ暖簾は、現在の中国でも見かけません。
発祥は定かではありませんが、平安時代末期(保延年間:1135年から1141年まで)に作られたとされる絵巻物「信貴山縁起絵巻」に、庶民の家に現在の半暖簾が描かれています。同じく平安末期(治承年間:1177年から1181年まで)の作とされる「粉河寺縁起絵」にも、半のれんや長のれん、藍染めの色布が民家の出入り口に描かれており、よって遅くとも平安末期以前、すなわち平安初期あるいは奈良時代には存在していたと推察されます。
参考サイト:
絵巻で見る 平安時代の暮らし
第61回『信貴山縁起』「尼君巻」の「庶民の生活」を読み解く
https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/emaki61
当初は、日差しをよける、風をよける、塵をよける、人目をよける、などを目的に農村、漁村、山村の家々の開放部に架けられていました。
デザインは無機質な白無地や色無地が主でしたが、そこに、ある種の「メッセージ」が入るようになったのは鎌倉時代以降のこと。暖簾の真ん中に、さまざまな文様が描かれるようになったのです。
それ以前はと言うと、せいぜい色によって業種などをあらわしている程度で、鎌倉期になってようやく「メッセージ性」が意識されるようになりました。
室町時代になると、あらゆる商家がそれぞれ独自の意匠を入れはじめ
屋号や業種などを知らしめるメディアとしての機能を担うようになりました。
と言っても文字ではなく、動物や植物から色々な道具類のかたち、
天文地理から単純な記号等で、それは文盲が多かったその頃は
文字よりもモノの形の方が人々は分かり易く親しめて印象度が強かったから。
時には、記された絵や文様がそのまま屋号になったものもあると言われています。
暖簾に屋号などの文字が入るようになったのは桃山末期頃からとされていますが
江戸時代に入り庶民の識字率が高まると、文字の入った暖簾が広く使われるようになります。
特に寛永・延宝時代(1624~1681)には、屋号、業種、商品名等文字を染め抜いたいわゆる白抜きのデザインが多く見られ、 商家にとっての主要な「広告媒体」として、普及していきました。
またこの頃から素材も、染色の困難な麻から染色のしやすい木綿に変わり始め、
同時に色も多様化してゆきました。
色の使い分けについては、伝統的に業種によって約束事があったようで(次項「業種毎に定められていた色の決め事」参照)、にもかかわらずそのルールを破ったばっかりに、人々の笑いものになり店じまいをすることになってしまった呉服屋などの例もあると言います。
業種毎に定められていた色の決め事
今でこそ、染料や生地、染色技術、設備など、暖簾製作に必要なものはどれをとっても格段に進歩していますが
昔は技術的にも低く、生地や染料など材料面においても限られていたために、もっとも簡単だった麻布の藍染めがほとんどでした。
その後、技術の発展と共に染色しやすい木綿の生地が普及するようになると、さまざまな色に染められた暖簾が出現するようになりました。
実は暖簾の色使いに関して、昔はある程度業種によって約束事がありました。
例えば手堅さを重んじるような商家は紺色や藍色、お菓子屋や薬屋は白色、といった風に。
紫は本来高貴な人だけに許された色で、庶民にとっては「禁色」といって、暖簾には決して用いてはならない色でした。ところが江戸時代になると、金融機関から借金したものは返済が完了するまで紫の暖簾を架けておかなければならない決め事があったという、興味深いエピソードもあります。
以下、参考までに色ごとに定められていた業種をご案内します。
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紺・藍
堅実商法を旨とする商家は、藍染による、藍色や紺色を多く使った。一度染めによる薄藍色から 何度も何度も染め重ねた濃紺まで種類は多い。また藍の香りは虫が嫌がって寄り付かないため、その特性を利用し特に酒造業や呉服商の多くが藍を使用したという。
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柿
柿色とは、「かちん染め」と呼ばれる技術から生まれる赤茶色のこと。吉原・島原などの花街では、遊女の最高位の太夫がいる店や太夫を招くことのできる揚屋(高級料亭)だけに許された色だった。しかし太平の世となった元禄のころになるとその伝統は崩れ、柿色の暖簾はあちこちの遊女屋で架けられるようになり、やがては大きな料亭などでも使われるようになった。
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白
白地に店名や商品を墨書きしたパターン。特に京阪地域では、紺無地の暖簾でもその中の一布だけは白生地にし、そこに屋号や商標を記していたという。菓子商や食べ物屋さん、薬種商に多く使われていた。菓子商が好んで白を使ったのは砂糖のイメージから、薬種商は当時砂糖を薬として使っていたからだとの節がある。今では、夏には白生地を、冬には色物をという使い分けをするお店が多い。
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茶
茶色にも色々あるが、少々黄みがかった茶色(黄土色)は煙草商、薬種商、種苗商の暖簾で広く使われた。特に江戸時代の煙草商でもっぱら使われていた色。しかし時代が下るにつれ、だんだんと暖簾の色に対する約束事も薄れてくるにつれ呉服商、菓子商、茶舗などにおいても広く使われるようになった。
暖簾のサイズや形、種類
のれんは布製のものが一般的ですが、中には縄のれんや竹、木管、ガラス玉やビーズ、また瓢をつないだ珍しいものまで色々あります。
また、かける場所や使用目的の他に、丈(高さ)の寸法などによっても呼び名があります。簡単に説明しますと、標準的なサイズは丈が昔の鯨尺の3尺(113㎝)で、その丈の長短によって呼び名が変わります。
例えば、標準丈の半分の長さ、要するに56cmくらいのサイズのものを半のれんと呼び、店内の様子や陳列品をわざわざ見せるために半分の長さにしたと言われています。
また、1m60cmくらいのサイズのものを長のれんと呼び、出入り口いっぱいにかければ目隠しの役目を、又商品などを置いた台の前にかければ、日除けの役割を果たします。
布丈40cmくらいの短めのサイズのものは、水引のれんと呼び、店の間口いっぱいの軒先に張ります。他のタイプの暖簾は閉店と共にお店の中に取り込みますが、水引のれんだけは夜間もずっと付けっ放しにして、家印としていました。
横幅のサイズは約34cmを一布とし、当時は三枚布がもっとも多かったとのこと。今では、いろんな布数のものがありますが、五枚布や七枚布など比較的奇数が多いのは、「余りが出る」ので商人には縁起がよい、と考えられていたためです。仕上げは布丈の上部を縫い合わせ、上辺に棒を通すための乳(チチ)と呼ばれるわっかを縫い付けます。
また、割れ目のない一風変わった暖簾もあります。大風呂敷のような一枚布の上辺下辺に乳を縫い付け上端を軒先に、下部を道路にせり出させて取り付ける日除け暖簾と呼ばれるものです。風にあおられるとバターン、バターンとまるで太鼓をたたくような音がすることから、別名「太鼓のれん」とも言われますが、残念ながらこののれん、街道の道幅が狭かった京都、大阪では余り普及せず、主には道路の広い江戸で広く使われていたようです。
標準布丈の半分、すなわち56.7cmのサイズのものが半のれん。店内の様子や陳列品を見せるため、半分の長さにしたと思われる。すし屋やそば屋などの飲食店に多く、「暖簾をくぐる」という感覚に近い。
約1.6mと丈の長いサイズの暖簾。出入口いっぱいに架ければ目隠しの役目を、また商品などを置いた台の前に架ければ日よけの役目を果たす。
40cmほどの丈の短いサイズのものを、間口いっぱいに軒先に張ったもの。当初は切り込みのない幕状で、塵よけが目的だった。他の暖簾は夜間は取り込むが、水引のれんだけは夜間も架けっぱなしとした。
切り込みをつけず大風呂敷のような一枚布の上下にチチをつけ、上端を軒先に、下端を道路側にせり出させて固定したもの。風に煽られるとパターンと音をたてることから「太鼓のれん」とも。
その他、かける場所や使用目的、絵柄、材料等によって名付けられた色々な暖簾を以下に紹介します。
暖簾の種類
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座敷暖簾(別名床暖簾)
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店の間と居間との間仕切り、目かくしなどに使われたもので、長暖簾のものが多い。かける位置からの呼称である。
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絵暖簾
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商標、屋号以外のさまざまな絵や、文様を染めぬいた暖簾。加賀地方の花嫁暖簾は、絵暖簾でもあり、座敷暖簾でもある。
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加賀暖簾
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金沢地区独特の染で、縁起模様をしるした絵暖簾の一種で、日常に使う単純な文様のものから、華麗な花嫁暖簾までを含めていう。
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加賀の花嫁暖簾
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加賀地方特有の風習で、花嫁がこし入れの時持参する長暖簾。上部に実家の紋章を入れ、すそに松竹梅や宝珠などさまざまな縁起模様を染めたもの。多くは絹地、ちりめん地に多色の加賀友禅で、たいへんに華やかなものである。式後数日間、新郎新婦の居間にかけたものである。現在も口能登地方の一部にこの風習が残されているそうである。
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祭り暖簾
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花嫁暖簾とよく似ているが、11巾もの巨大なものもある。秋田本荘地区で祭礼時や祝いごとに使われる草木染の座敷暖簾。この辺では祭り暖簾と呼んでいた。
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花暖簾
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昔から芝居小屋、劇場の楽屋入り口にかけた長暖簾。団十郎の三桝紋、羽左衛門の橘紋など、楽屋を使用する役者の紋を染めぬいたものが多く、楽屋暖簾とも呼ばれている。
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縄暖簾
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昔は縄すだれと呼んでいたという。この頃では居酒屋の代名詞にもなっているが、めしやをはじめ煮物屋、麹屋、菓子屋などさまざまな店に使われている。出入り口にかけた縄暖簾が、外の明るさと内の暗さを仕切り、蝿が暗さをきらう習性から、蝿除けに効果があったからといわれている。
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竹暖簾(別名管暖簾)
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細い女竹(篠竹)を10センチ前後に切り、芯に細紐を通し十数個をつないで一本の竹状にし、これを数十条ならべて暖簾にしたもの。木管のものもあり、別名くだ暖簾とも呼んでいる。
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珠暖簾
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ガラス玉やビーズに細紐を通して暖簾にしたもの。かき氷屋などでよく見かけたものである。なかには木珠や、珍しいものでは瓢(ひさご)をつないで暖簾にしたものもみられる。
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くぐり暖簾
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店の間と奥との通路の境にかけた暖簾。屋号や家紋だけを染めぬいたものが多い。座敷暖簾(床暖簾)と同様に、かける場所からきた呼称である。
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簾(すだれ)
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このはじまりは古く弥生時代からといわれ、暖簾の原型ともいわれている。細い丸竹や割竹を縄や細紐で編んだもの。現在でも京都をはじめ地方の町家で多く使われている。
暖簾の用途
最も一般的なのは、飲食店等の店頭での掲示もしくは看板、ディスプレーとしての使い方ですが、それ以外にも店内装飾や間仕切り、目隠し、日除けの他、男湯女湯ののれんや楽屋のれん、結婚式のウェルカムボード等多岐に渡ります。最近は、業務用だけでなく個人宅内でも、部屋の装飾や遮蔽性をもたせた壁掛タペストリーなどインテリアとしても使われます。
暖簾の製作(染色)方法
布生地への染色方法は、これまでは本染め(反応染め)が一般的でしたが、ここ最近は昇華転写捺染(デジタル染色)が多くなってきました。その理由や、それぞれの製作方法については専用ページを設け詳しくご紹介していますので、ぜひご覧下さい。
なぜ「本染め」ではなく、「昇華転写捺染」なのか?
地域による違い
関西と関東では、暖簾にいくつかの違いが見られます。
その一つが、仕上げ方法。
一般に、のれん発祥の地京都では上辺をトンネル状に縫い上げる「袋縫い仕上げ」が多いです。ご覧の通り、袋縫いにするとのれん棒は見えません。一方江戸では、チチ(乳)という、布地を輪っかにしたものを上部に縫い付ける「チチ仕上げ」が多く、そのため暖簾棒は「袋縫い」と違ってはっきりと見えることになります。
これは、「隠す」ことをよしとする京都と、「現す」ことをよしとする江戸の文化の違いによるものと言われています。
また、道路にせり出して取り付ける「日除け暖簾」は物資や人の往来を妨げるため、道路幅の狭かった京都や大阪では許可されず、比較的道路幅の広かった江戸や街道筋でのみ許されたことから、特に江戸の地で広く普及したとされています。
またデザイン面でも、江戸は文字が大きく、京都は文字が控えめで上品。
それは、意匠やデザインの先進都市としての京都の伝統のほか、極端に目立つことを嫌い、周囲や環境との調和に腐心しながらもさりげなく、おしゃれに自己主張する、京都人特有の洗練された感性によるものと思われます。
こうして、入る内容や色、生地、サイズ等においてさまざまな工夫と変遷を経て、今日まで連綿と受け継がれ、発展してきた暖簾。
今では部屋の間仕切りなどインテリアとしても使用されることも多くなり、そのニーズは世界にまで拡がっています。
参考文献
- 日本の暖簾-その美とデザインー 高井潔著 グラフィック社刊
- 暖簾風土記-伝統美をさぐる 増田正著 朝日旅の百科別冊
よくいただくQ&A
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こちらで注文したいのですが、のれんのサイズで悩んでいます。横サイズの方は、間口が決まっている関係でおよそ決まってくるかとは思うのですが、問題は縦の長さです。どんな判断基準で縦のサイズを決めればよろしいでしょうか?
縦と横の黄金比みたいな、縦サイズを決める上での何らかの判断基準があればご案内したいところですが、残念ながら特になく、縦サイズは様々です。のれんを掛けるところの写真をお送りいただければそこに色々なサイズの暖簾をかぶせてご覧いただくことも出来ます。こちらにお客様のご使用写真を掲載していますので参考になさって下さい。http://www.order-noren.com/archive/tag.0001.html
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こちらで製作いただきたいと考えているのですが、色々と調べているうちに気になったことがございましたので、質問させていただきます。 かつて、暖簾の色によりどのような商売をしているかを表していたようですが、サイズや色、デザインなど現代に共通する傾向はありますか?
「暖簾とは?」でご紹介させていただいた通り、昔は色使いに制約があったり業種によって使っていい色が決められていましたが、当然現代ではそのような制約はありません。ただ、お客様が抱くイメージや、らしい色は業種によりありますので、あまりそこから逸脱した色使いは避けるべきだと思います。
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暖簾を製作していただきたく思っているのですが、巾数を多めにするか少なめにするかで違いというのは出てくるものなのでしょうか。 巾数(割れ数)を増やした場合のメリットデメリットと、反対に巾数を少なめにした場合のメリットデメリットを教えてください。
はい、まず巾数によってお値段は変わりませんのでご安心ください。メリットデメリットですが、あまり一巾の寸法が幅広い(巾数が少ない)とくぐりにくいことが考えられます。暖簾の場合、およそ一巾の相場は確かに決まったものはないのですが狭くて350mm、広いものでもせいぜい900mmくらいでしょうか。ご参考になさってください。